板倉はそれに依って、その窓の中に人が三人いることと、三人の中の一人が妙子であることとを理解するや否や、再び激流の中に躍り込み、半ばは流され、半ばは溺れ、半ばは泳ぎつつあの藤棚へ来ることに成功したのであるが、この最後の死闘が分けても冒険的なものであったこと、これこそ彼の生命を賭した働きであったことは察するに難くないのである。
板倉が上に述べたような救助作業をしていた時間は、ちょうど貞之助が列車の中に避難していた時間に相当するであろう。
貞之助は、辛うじて甲南女学校に逃げ込んで、そこの二階の、一般罹災民の臨時休憩所に当てられていた一室に収容されて、午後三時頃まで休ませて貰っていたが、やがて雨が止み、水が徐々に退き始めたので、そこから僅かな距離にある洋裁学院へ出かけて行った。