その阪急の橋と、国道の業平橋に至る間は、川床が殆ど両岸の道路の高さに持ち上ってしまって僅かな雨にも氾濫する危険が感じられ、一日も捨てて置けないので、大勢の土工が幾日も幾日も土砂を掘り返していたが、蟻が砂糖の山を崩すようでなかなか埒が明かず、あたら堤防の松を砂煙で汚していた。
それに生憎と、水禍から以後はすっかり天候が恢復して日照りがつづくので、一層埃が立ち迷って、名だたる高級住宅地の蘆屋の風致も、今年ばかりは見る影もなかった。
雪子がざっと二箇月半ぶりに東京から戻ったのは、そう云う埃っぽい夏の一日のことであった。