で、彼等の予定では、父親のシュトルツ氏と長男のペータアとが今月のうちに先発して、亜米利加経由で帰国する、夫人はローゼマリーとフリッツとを伴って、来月一旦マニラへ渡り、同地の妹の家に暫く滞在して、それから欧洲へ立つことにする、と云うのは、その妹の家族も今回帰国することになったのであるが、妹は目下本国で病気に罹って臥ているので、夫人が妹の家の後始末をつけ、荷纏めをして、自分の子供の外に妹の子供三人を連れて引き揚げることになったのだと云う。
そんな訳で、夫人やローゼマリーの出発にはまだ二十日ばかり間があるけれども、シュトルツ氏とペータアとは既に船室の予約までした、それは八月の下旬に横浜を出帆するエムプレス・オブ・カナダであると云う、全く急な話なのであった。
蒔岡方では、悦子が七月の末あたりから、去年ほどではないけれども又少し神経衰弱と脚気の気味があって、食慾が衰え、不眠症を訴え始めたので、あまり病気が昂じないうちに一度東京へ連れて行って専門の大家に診て貰おう、まだ東京を知らない彼女は、学校の同級生で二重橋を拝んでいるのは誰さんと誰さんだなどと云って羨しがっているくらいであるから、連れて行って方々を見物させてやれば、それだけでもどんなに喜ぶであろう、それに幸子も渋谷の本家を訪ねたことがないのだから、ちょうど好い機会でもある、と云うことになって、幸子と雪子と悦子の三人で八月怱々に立つ積りでいたところ、おさく師匠の病気のことなどがあって延び延びになり、もう今月は行けるかどうか分らないと云っていたのであった。