幸子は姉が子供に対して手が早いのを大阪時代から見て知っていたし、又そのくらいにしなければ、とてもこれだけの子供の母として切り廻して行けないことも分っていたけれども、そんな有様なので、くつろいで話をする暇などはなかった。
悦子も二三日の間は、雪子に連れられて靖国神社や泉岳寺などを見て廻っていたけれども、暑い時分にそうそう出歩くことも出来ないし、間もなく退屈するようになった。
幸子は兄弟の味を知らない悦子が、歳下の女の児を珍しがるところから、こう云う機会に従妹と親しませようと云う考もあったので、それも旅館を避けた理由の一つだったのであるが、生憎梅子はひどいお母さん児で、雪子にさえもなつかないと云う風なので、悦子にはちょっと手に負えなかった。