―――幸子には孰方とも分らなかったが、義兄にしてみれば、義妹たちとの折合がよくないと云う世評があるのを気に病んでいるところもあって、或はそれがこう云う形で現れるのかも知れなかった。
そして義兄は、幸子ちゃん達は播半だとかつる屋だとか云う立派な料理屋しか知らないだろうけれども、道玄坂には花柳界を目あてのちょっとした小料理屋が沢山ある、東京は一流の会席料理屋よりも却ってそう云う腰掛の家の方がおいしい物を食べさせるので、奥様やお嬢さん連れのお客も始終見かける、幸子ちゃんも、何も経験だからまあ僕に附き合うて、東京の気分を味おうて見給え、などと云って、姉には留守をさせて、幸子と雪子とを引っ張り出して、気軽に近所のうまいものやなどへ連れ込んだりもした。
幸子は昔、この義兄が養子に来たばかりの頃、妹たちとぐるになってちょいちょい意地悪をしてやったり、それが分って姉を泣かしたりしたことがあったのを懐しく想い出したが、義兄の気の弱い人の好い方面や、姉以上に神経を使ってくれている様子などが眼に見えるにつけて、まさか娘時代のような意地悪も出来ないし、矢張今度は此処に泊っているより仕方があるまい、この上は杉浦博士の診察が済みさえしたら一日も早く関西へ立ちたい、と、そう思いつつ八月じゅうはとうとう渋谷で暮してしまった。