すると、その明くる日、九月一日の夜のことであった。
その晩は、六人の子供達と悦子とが一と立て済ましたあとで、義兄夫婦と幸子と雪子とが家で夕食をしたためながら、ちょうどその日が震災記念日に当っていたので、地震の話からこの間の山津浪の話を持ち出し、妙子の遭難のいきさつ、板倉と云う若い写真師の活躍等々を食卓の話題に上せたが、その折幸子は、あたしは好運にも恐い目に遭わなかったので、みんなこいさんに聞いたのだけれども、………と、そう前置きをして当時のことを委しく語った。
と、その言葉が讖を成したのでもあるまいが、恰もその夜、大正何年以来と云う猛烈な颱風が関東一帯を襲って、幸子は自分に関する限り、生れて始めてと云ってよい恐怖の二三時間を経験したのであった。