幸子のこの気持を一番よく知っているのはお春の継母に当る婦人で、彼女は尼崎の家から時々御機嫌伺いに来ては、誰が何と申しましょうとも、あのような手数のかかる厄介な娘を、女中に置いて使うて下さる此方様の御恩は忘れません、あの娘のためには今迄私も散々泣かされておりますので、どんなに奥様も手を焼いていらっしゃいますか、お察し申し上げているのでございます、と、そう云い云いして、万一此方でお暇が出たら、とてもあんな者を置いて下さるお家はございませぬから、何卒御迷惑でも御辛抱なすってお使い下さいますように、―――お給金などは戴かずとも宜しゅうございますし、どのようにお叱り下さいましても結構でございます、あの娘はちょっとでも甘えさせましたらいけませぬので、叱って叱って叱り続けて戴くくらいがちょうどよいのでございます、―――と、幸子を掴まえてそんな風に頼み込んでは帰るのであった。
幸子は最初、洗張屋の張惣の主人が十五になるお春を置いてやってくれと云って連れて来た時、目鼻立が可愛らしいので使って見る気になったのであるが、ものの一と月も立つうちに、大変な娘を雇い込んでしまったことをだんだんと思い知らされて、母親の「あの持て余し者」と云った言葉が、決して一と通りの謙遜の辞でないことを悟るようになった。
分けても家族の者共が一番弱らされたのは、この少女の不潔なことであった。