それから間もなく今のアマ達が来るには来たけれども、矢張前のアマ達はああ云って憤慨しただけのものはあって、頭の働きも、仕事の能率も、二人ながら群を抜いていたので、夫人も後になってから、わたし、あの人達に暇を出したのは間違いでしたと、幸子に洩らしたことがあった。
夫人の主婦振りがどんなものであるかはこの一事でも明かであるが、だからと云って、規則ずくめの厳格一方の人ではなくて、情愛の深い優しい半面もあることは、あの水の時に、近所の交番へ泥まみれになった罹災者が二三人も逃げて来たと聞いて、早速シャツや下着類を持たせてやり、あなた方も浴衣があったら贈ってお上げなさいとアマ達にも熱心に勧めたこと、夫や子供たちの安否を気遣い、悦子のことまでも心配してくれて、真っ青な顔に涙を浮かべていたこと、夕方夫たちが無事に戻ったのを知ると、狂気したような歓声を挙げて駈け出したこと、等々を見ても分る。
幸子は今でも、あの栴檀の葉越しに見た、夫人が喜びに我を忘れてシュトルツ氏に犇と抱き着いた光景をはっきり覚えているのであるが、ほんとうに、あんな情熱的なところもあるのは感心ではないか、一般に独逸の夫人は偉いと云っても悉くがシュトルツ夫人と同様だと云う訳ではあるまい、矢張これだけよく出来た人はなかなか得難いに違いなく、こう云う人を隣人に持ったのは自分の仕合せであったのに、それにしては余り呆気ない交際であった、いったい西洋人の家庭は日本人との近所附合いをしたがらないものであるが、この一家はそう云う点も如才なく、越して来た時に見事なピラミッドケーキを挨拶代りに配ったくらいであるから、此方からも打ち解けて、子供達の附合いだけでなく、もっと親密に往き来をし、料理や菓子の作り方なども教えて貰えばよかった、と、今になって幸子は惜しい気がするのであった。