英文で認めたシュトルツ夫人のこう云う手紙が、幸子の許へ届いたのは十月十日頃であった。
追白に書いてある刺繍の小裂なるものも二三日遅れて届いたが、それは極めて精巧な手縫いをしたテーブル掛けであった。
幸子はそのうちに返事を出そうと思いながら、書くには書いても誰に訳して貰ったらよいか、夫は面倒がって堪忍してくれと云うし、ちょっと適当な人が見付からないので、つい億劫で延び延びになっていたが、或る夕方蘆屋川の堤防を散歩していると、嘗てシュトルツ夫人に紹介されたことのある、日本人でヘニングと云う独逸人の奥さんになっている人に行き遇ったので、ふと思い出して相談すると、お安いことです、私は巧く書けませんけれども、娘は独逸語も英語も書けますから、娘に翻訳させましょうと云って、ヘニング夫人は引き請けてくれた。