その時分、妙子は方々から注文を受けている人形の製作を、洋行する迄に全部仕上げるのだと云って一日も休まず仕事部屋に通い、かたわら仏蘭西語の会話を、玉置女史の紹介で、巴里に六年居たと云う洋画家別所猪之助氏夫人に、週に三回で拾円と云う特別に安い月謝で教えて貰っていたので、彼女は殆ど毎日、昼間は家にいることがなかった。
悦子は学校から帰って来ると、あれ以来空家になっている旧シュトルツ家の境界の金網の方へ行って、今は徒らに雑草の繁みの中に虫が鳴いている裏庭を、なつかしそうに網の目の間から覗いたりしていた。
彼女は今迄、あまり近い所に恰好な友達が出来たために学校の同級生とはそんなに遊ぶ折もなく、だんだん疎遠になっていたので、こうなると寂寥に堪えないらしく、ぽつぽつ新しい仲好しを作るようにはしていたけれども、急には気の合った相手も見付からず、又そのうちに裏の家へルミーさんのような児のある人が来ないか知らん、などと云い云いしたが、外人向きに建てた借家であるから日本人は借りようとせず、かと云って西洋人は、世界中に動乱の兆が見える昨今、皆シュトルツ氏と同じような理由で東亜を引き揚げようとする者が多いので、当分その家は塞がりそうもなかった。