幸子は、そうは云っても悠長な姉のことではあり、義兄も事を決定するのに手間の懸る方であるから、直ぐには返事が来ないであろうことを予期していたが、それきり十日以上たっても何の音沙汰もなく、十一月もとうとう下旬になってしまった。
あなたから一遍催促して見てと、貞之助に云っても、僕は皮切りをしたのだから後は知らないと、逃げを打つので、幸子から、こいさんの話はどうなったでしょうか、行くとすれば出発は正月なのだから、と云ってやったけれども、矢張梨の礫であった。
こないなったら、こいさん東京へ行って来なさい、その方が話が早いで、と幸子が云うので、妙子もそれに極め、二三日中に出かけるつもりにしていると、漸く十一月三十日になって、次のような手紙が届いた。