板倉は、彼女の言葉が単なる恋愛の表示でなく、結婚の申込みであると分った時、ちょっと自分の耳を疑うようなドギマギした様子を見せたが、それはわざと殊勝らしく装ったのか、でなければ、彼も流石にそこまでは予期していなかったからなのであろう。
その時彼は、僕はそんなことは夢にも考えていなかったので、余り突然で、何と御返事してよいか分りませんから、二三日考えさして下さい、と云ったが、しかしそう云う口の下から、僕としては有難過ぎて好いも悪いもありませんが、こいさんが後で後悔なさらないように、もっと熟考なさっては如何でしょうか、などとも云い、そんなことをしたら、僕が奥畑家に出入りが出来なくなるのは勿論、こいさんも本家や分家から見放されるようになるでしょう、その上二人共、社会からあらゆる誤解と迫害を受けるでしょう、僕はそれと闘って行く勇気がありますが、こいさんはよう辛抱なさるでしょうか、などとも云った。
それから又、僕はきっと蒔岡家の娘さんを巧いこと蕩し込んで身分違いの結婚をした、と云う風に云われるでしょうが、世間が云うのは構わないとして、啓坊にそう思われるのが一番辛い、などとも云い、又語調を変えて、でも啓坊の誤解を解くことは到底出来ないから、もうどう思われても仕方がない、本当のことを云うと、奥畑家は僕の主筋に違いないが、僕が実際にお世話になったのは先代の大旦那と、今の旦那(啓三郎の兄)と、お家さん(啓三郎の母)だけだ、啓坊はただ旧主の家の坊々であると云うだけで、直接恩を受けてはいない、それは、考えように依っては、僕がこいさんと結婚したら、啓坊は憤慨するであろうが、お家さんや旦那さんは、却って僕がよいことをしてくれたと思われるかも知れない、なぜならお家さんや旦那さんは、多分今でもこいさんと啓坊との結婚に賛成しておられないからだ、啓坊はそうは云わないけれども、僕の見るところではどうもそうだ、などとも云った。