常連の、ちゃんと電話で申し込んであるお客でも、時間が十五分か二十分おくれると断られたり、一時間ばかりその辺を散歩して来てくれ、などと云われる。
もとこの親爺は、今はなくなったが明治時代に有名であった東京両国の与兵衛で修業した男なので、「与兵」と云う名はそれに因んだのだそうであるが、鮨そのものは昔の両国の与兵衛鮨とは趣を異にしていた。
それと云うのが、親爺は東京で修業したものの、生れは神戸の人間なので、握り鮨ではあるけれども、彼の握るのは上方趣味の頗る顕著なものであった。
常連の、ちゃんと電話で申し込んであるお客でも、時間が十五分か二十分おくれると断られたり、一時間ばかりその辺を散歩して来てくれ、などと云われる。
もとこの親爺は、今はなくなったが明治時代に有名であった東京両国の与兵衛で修業した男なので、「与兵」と云う名はそれに因んだのだそうであるが、鮨そのものは昔の両国の与兵衛鮨とは趣を異にしていた。
それと云うのが、親爺は東京で修業したものの、生れは神戸の人間なので、握り鮨ではあるけれども、彼の握るのは上方趣味の頗る顕著なものであった。