もとこの親爺は、今はなくなったが明治時代に有名であった東京両国の与兵衛で修業した男なので、「与兵」と云う名はそれに因んだのだそうであるが、鮨そのものは昔の両国の与兵衛鮨とは趣を異にしていた。
それと云うのが、親爺は東京で修業したものの、生れは神戸の人間なので、握り鮨ではあるけれども、彼の握るのは上方趣味の頗る顕著なものであった。
たとえば酢は東京流の黄色いのを使わないで、白いのを使った。
もとこの親爺は、今はなくなったが明治時代に有名であった東京両国の与兵衛で修業した男なので、「与兵」と云う名はそれに因んだのだそうであるが、鮨そのものは昔の両国の与兵衛鮨とは趣を異にしていた。
それと云うのが、親爺は東京で修業したものの、生れは神戸の人間なので、握り鮨ではあるけれども、彼の握るのは上方趣味の頗る顕著なものであった。
たとえば酢は東京流の黄色いのを使わないで、白いのを使った。