彼の説だと、鮨にならない魚はない、昔の与兵衛の主人などもそう云う意見だったと云うので、その点で彼は東京の与兵衛の流れを汲んでいるのであった。
彼の握るものは、鱧、河豚、赤魚、つばす、牡蠣、生うに、比目魚の縁側、赤貝の膓、鯨の赤身、等々を始め、椎茸、松茸、筍、柿などに迄及んだが、鮪は虐待して余り用いず、小鰭、はしら、青柳、玉子焼等は全く店頭に影を見せなかった。
種は煮焼きしたものも盛に用いたが、蝦と鮑は必ず生きて動いているものを眼の前で料理して握り、物に依っては山葵の代りに青紫蘇や木の芽や山椒の佃煮などを飯の間へ挟んで出した。