種は煮焼きしたものも盛に用いたが、蝦と鮑は必ず生きて動いているものを眼の前で料理して握り、物に依っては山葵の代りに青紫蘇や木の芽や山椒の佃煮などを飯の間へ挟んで出した。
妙子はこの親爺とは可なり前からの馴染で、或は与兵の発見者の一人であったかも知れない。
外で食事することの多い彼女は、神戸も元町から三宮界隈に至る腰掛のうまいもの屋の消息には実によく通じていて、まだこの店が今の所に移る前、取引所の筋向うの細い路次の、今よりもっと小さな所で商売を始めた頃に早くも此処を見付け出して、貞之助や幸子達にも紹介したのであった。