と云うのは、嘗て四五年前、幸子が重い流感を患った時にも一度使ったことがあるからなので、そこは全然別棟の、母屋から下駄で行き通いするようになっている、六畳に三畳の次の間の附いた一と棟で、瓦斯や電熱の設備もあり、一層都合の好いことには幸子の時に水道までも取り附けて簡単な煮焚きぐらいは出来るような造作がしてあるのであった。
で、貞之助が夫婦の寝室になっている二階の八畳へ机や手文庫や書棚の一部などを運び、邪魔な物は納屋や押入へ片附けてしまった跡へ、悦子が看護婦を連れて引き移って行き、一往母屋との交通を断つようにはしたが、それが完全に行われる訳はなく、病人や看護婦の食事など、一々此方から運ばなければならないので、どうしても一人連絡係を置く必要があった。
それには食器などを扱う下働きの下女は危険で、さしあたりお春が最も適任であり、当人も亦、伝染病を恐れないことにかけては誰よりも勇敢なところから、喜んでその役を買って出たが、二三日勤めさせて見ると、自分が恐がらないのはよいとして、病室の出入りに消毒することを実行せず、病人に触った手で何にでも触ると云う風なので、あれでは病菌をバラ播くようなものだと、第一に雪子から苦情が出た。