そして結局、お春が罷められて雪子が任に当るようになったが、これはこう云うことには馴れたものなので、注意が甚だ細心であり、と云って徒に恐がるのではなく、看護も実によく行き届いた。
彼女は病室用の食器類は全然下女達の手を藉りず、煮焚きから持ち運びから、洗滌までを自分が担当し、高熱が続いた一週間程の間は、夜は看護婦と交代して二時間置きに氷嚢を取り換えなどして、殆ど眠らない日が多かった。
病状は順調な経過を辿り、一週間後には熱も漸く下って行ったが、それでもこの病気は、体じゅうの紅いぶつぶつが乾せて、瘡蓋が落ちるようになり、全身が一と皮剥けてから全快するので、それ迄には四五十日は懸る、と云うことなので、京都行きを済ませたら間もなく立つ積りでいた雪子は、当分足止めを食わされた形になった。