しかし幸子の見た通り、母親にしても悲歎の余りいろいろな愚痴が出るのだけれども、結局外科に引き渡さなければならないことは観念していたものらしく、それを切掛けに折れてしまった。
鈴木病院と云うのは上筒井六丁目の、昔の阪急の終点附近にあったが、漸くそこへ病人を担ぎ出す段取りが付いたのは、暗くなりかかった頃であった。
その時も磯貝院長の仕方は不親切を極め、話がそうと決定してからはいかにも厄介払いをしたと云う態度で、自分は一切姿を現わさず、挨拶にも出て来ないので、病人を運搬するについての世話は、総べて鈴木病院から出張した医師や看護婦が担当した。