遺骨は親兄弟たちが郷里の寺へ持って行って埋葬すると云うことであったが、彼等が田中の板倉写真館を閉じて引き揚げて行った時にも、蒔岡方へ何の挨拶にも来なかったのは、多分これ以上の交際を遠慮したのであろう。
妙子は三十五日までは、七日々々にひとりでこっそり故人の郷里へ行き、しめやかにお墓詣りをして親兄弟の家へも寄らずに帰って来るようにしていたが、幸子もうすうすそのことは知っていないでもなかった。
雪子と悦子とは、「水戸ちゃん」がいなくなってから離れの方に二人で寝るのは淋しいので、夜はお春に泊りに来て貰っていたが、それも僅か二た晩で、ちょうど板倉の告別式の前日に床上げをし、母屋の方へ寝室を移した。