そんな興味は芸術の要求す可きものではないのだから、感じても感じないでも差支はない。
故に若し、画家に取て撰択すべき瞬間があるとすれば、其れは唯或る肉体が最上最強の美の極点に到達した刹那の姿態を捉える事なのだ。
然るにレッシングは又画家の捉うべき『含蓄ある瞬間』と云うものを、非常に窮屈に制限して居る。
そんな興味は芸術の要求す可きものではないのだから、感じても感じないでも差支はない。
故に若し、画家に取て撰択すべき瞬間があるとすれば、其れは唯或る肉体が最上最強の美の極点に到達した刹那の姿態を捉える事なのだ。
然るにレッシングは又画家の捉うべき『含蓄ある瞬間』と云うものを、非常に窮屈に制限して居る。