一人で下宿住居をしていて、百五十円の月給を貰っていたのですから、私の生活は可成り楽でした。
それに私は、総領息子ではありましたけれども、郷里の方の親やきょうだいへ仕送りをする義務はありませんでした。
と云うのは、実家は相当に大きく農業を営んでいて、もう父親は居ませんでしたが、年老いた母親と、忠実な叔父夫婦とが、万事を切り盛りしていてくれたので、私は全く自由な境涯にあったのです。
一人で下宿住居をしていて、百五十円の月給を貰っていたのですから、私の生活は可成り楽でした。
それに私は、総領息子ではありましたけれども、郷里の方の親やきょうだいへ仕送りをする義務はありませんでした。
と云うのは、実家は相当に大きく農業を営んでいて、もう父親は居ませんでしたが、年老いた母親と、忠実な叔父夫婦とが、万事を切り盛りしていてくれたので、私は全く自由な境涯にあったのです。