前の方は非我の事相のうちに愛を認めて、これを描出するので、後の方は我の愛を認めたる上、これを非我の世界に抛げ出すのであります。
すなわちその本位とするところは、我が味うところの愛という情操で、この無形無臭の情操に相応するような非我の事相を創設するのであります。
非我の事相は自然から与えられたもので、一厘も動かすべからずとして、その一分子たる愛を叙して来るのと、我の切実に経験する愛を与えられたるものとして、もっとも適当にこれを叙述せんがために、非我の事相を任意に建立するのとの差になります。
前の方は非我の事相のうちに愛を認めて、これを描出するので、後の方は我の愛を認めたる上、これを非我の世界に抛げ出すのであります。
すなわちその本位とするところは、我が味うところの愛という情操で、この無形無臭の情操に相応するような非我の事相を創設するのであります。
非我の事相は自然から与えられたもので、一厘も動かすべからずとして、その一分子たる愛を叙して来るのと、我の切実に経験する愛を与えられたるものとして、もっとも適当にこれを叙述せんがために、非我の事相を任意に建立するのとの差になります。