ほんの一分の間にしても、「時」の歩みと云うものが驚くほど遅々として、無限に長く感ぜられます。
その一分が六十回でやっと一時間、百二十回でやっと二時間、仮りに三時間待つものとしても、このしょざいない、どうにもこうにもしようのない「一分」を、セコンドの針がチクタク、チクタクと、円を一周する間を、百八十回こらえねばならない!
それが三時間どころではなく、四時間になり、五時間になり、或は半日、一日になり、二日にも三日にもなったとしたら、待ち遠しさと恋しさの余り、私はきっと発狂するに違いないような気がしました。