すると私は、今更のように在りし日の母の俤を偲び、済まない事をしたのを感じて、再び悔恨の涙が堰きあえず、あまり泣くので極まりが悪いので、そっとうしろの裏山へ登って、少年時代の思い出に充ちた森や、野路や、畑の景色を瞰おろしながら、そこでさめざめと泣きつづけたりするのでした。
この大いなる悲しみが、何か私を玲瓏たるものに浄化してくれ、心と体に堆積していた不潔な分子を、洗い清めてくれたことは云うまでもありません。
この悲しみがなかったなら、私は或は、まだ今頃はあの汚らわしい淫婦のことが忘れられず、失恋の痛手に悩んでいたでしょう。