此の女親の不作法は素より論外であるとして、私の不思議に思つたのは、此れを見てゐる車掌もお客も、別に咎め立てをしないばかりか、不愉快な顏つきをするのでもない。
何しろ立錐の餘地もない中で、蹲踞まつてゐるのさへが不都合であるのに、近所の人はシヤアシヤアの飛ばツ散りぐらゐ受けるだらうが、誰も平氣で、全く無感覺な樣子をしてゐる。
寶塚のお客が斯う云ふ人種の集まりだとすると、菊五郎がイヤ氣を起しても尤も至極と云ふべきである。
此の女親の不作法は素より論外であるとして、私の不思議に思つたのは、此れを見てゐる車掌もお客も、別に咎め立てをしないばかりか、不愉快な顏つきをするのでもない。
何しろ立錐の餘地もない中で、蹲踞まつてゐるのさへが不都合であるのに、近所の人はシヤアシヤアの飛ばツ散りぐらゐ受けるだらうが、誰も平氣で、全く無感覺な樣子をしてゐる。
寶塚のお客が斯う云ふ人種の集まりだとすると、菊五郎がイヤ氣を起しても尤も至極と云ふべきである。