しかし、歌人としての、乃至青年作家としての恒川陽一郎の名を記憶してゐる者は稀であつても、名妓萬龍の愛人としての、彼女の最初の夫としての彼の名を知つてゐる者は、今も尚世間に多いことであらう。
苟しくも男子たるもの何を以て声名を世に馳せようとも、平々凡々裡に朽ち果てるよりは結構なことに違ひないから、萬龍に依つて彼が一挙に艶名を轟ろかし、満天下の羨望の的となつたのも、当人に取つて定めし痛快事だつたであらう。
思ふにその時分、大貫と私とは既に「新思潮」を登竜門として大いに文壇に活躍しようとする意気込みを示してゐたから、或はそんな事が彼の負けじ魂を刺戟したのではなかつたであらうか。