それで私はその不結果の報告を齎して、青山北町にあつた恒川の家を久振に訪ねた。
それが、明治年代のことであつたか、大正の初め頃であつたか、その辺の記憶が明瞭を欠くのだが、今も不思議に覚えてゐるのは、その時私は細かい十の字絣の対の大島の袷(これは友人の借り着であつた)に、お召の夏袴を穿いてゐた。
だから季節は晩春か初秋、―――多分晩春であつたと思ふ。
それで私はその不結果の報告を齎して、青山北町にあつた恒川の家を久振に訪ねた。
それが、明治年代のことであつたか、大正の初め頃であつたか、その辺の記憶が明瞭を欠くのだが、今も不思議に覚えてゐるのは、その時私は細かい十の字絣の対の大島の袷(これは友人の借り着であつた)に、お召の夏袴を穿いてゐた。
だから季節は晩春か初秋、―――多分晩春であつたと思ふ。