さう、さう、それで思ひ出すのは、私が肩が凝つたと云ふと、「谷崎さんは大島を着てゐながら肩が凝つたなんて贅沢だわ」と、彼女がそんなことを云つたりした。
(どうも人間は肝心なことを忘れてしまつて、下らないことを覚えてゐるものだと思ふのは、その大島にはどう云ふ訳か木綿の通し裏が附いてゐたと見え、その晩恒川の家へ泊つた時にお豊どんと云ふ古くからゐる老女中がそれを畳みながら、「これでは大島が可哀さうでございますね」と、借り着とも知らずにさう云つたのを、未だに想ひ出すのである)多分われ/\は、萬龍夫人を中に挟んで里見君の花柳小説にあるやうな機智と皮肉に富む狭斜趣味の会話を遣り取りしながら、一日中愉快に、たわいもなく暮らしてしまつたのであらう。
さう云へば恒川も私も日頃から都会人であることを誇りとして、その点では田舎者の大貫を馬鹿にしてゐたが、その日の恒川は金の苦労も両親の反対も何糞と云ふ度胸を示して、盛んに警句を吐き、諧謔を弄し、当るべからざる概があつた。