大阪の八千代、―――後の菅楯彦氏夫人なども、非常に聡明であつたことは今も土地の人々が噂をするが、事実名妓と云はれる者に馬鹿な女は少いやうである、あつてもそんなのは、決して声名を長く持続することが出来ないのである。
さて私は、二人の歓待を受けてその晩はとう/\泊り込んでしまひ、明くる日の夜、風間氏の家を辞した。
(当時私は本郷にゐたのか、向嶋にゐたのか、これも確かな記憶がない)で、そのまゝ真つ直ぐ帰つてしまへば何も問題はなかつたのに、恒川の家の近所に岡本一平君夫妻が住んでゐたものだから、ついでに一寸立ち寄つたのがつい長つ臀になつて、又もう一と晩そこで厄介になつた。