赤門系で早稲田系の文人と親しくしてゐたのは小山内君ぐらゐのもので、一般には、お互に余り交際もしないと云ふ有様であつたから、仮りに相馬氏が私の作物を認めて下すつたとしても、それを「早稲田文学」が引き受けてくれるやうなことは万に一つもあるまいと思へたが、果して予想通りその原稿は握り潰されたのであつた。
此の前後に於ける私の失望は可なり大きなものだつた。
そして自信がグラツキかけたことも屡〻であつたが、さりとて自然主義諸家の作品を読んでも、白鳥、独歩、秋声等の二三氏を除く外、殆ど孰れも感心する気にはなれなかつた。