そして自信がグラツキかけたことも屡〻であつたが、さりとて自然主義諸家の作品を読んでも、白鳥、独歩、秋声等の二三氏を除く外、殆ど孰れも感心する気にはなれなかつた。
事実、あの頃の自然主義の横暴と云つたら、恰も二三年前のプロレタリア文学勃興時代に髣髴たるものがあつてあれよりも尚鼻息が荒かつた。
それについては、たび/\例に引くことだけれども、鏡花先生の小説を引き請けた書肆が自然主義作家の一団からボーイコツトを食ひさうになつて、已むを得ず出版を中止したと云ふ事件なぞがあり、猫も杓子も自然主義的作品をさへ書いてゐれば認められると云ふ風で、「平家にあらざれば人にあらず」と云ふ如く、「自然主義者にあらざれば作家にあらず」の感があつた。