それに、漱石先生はその社会的文壇的地位が余りに私とは懸隔があり過ぎ、近づき難い気がしたが、荷風氏は当時仏蘭西滞在中(?
の最も尖鋭な新進作家であり、恐らくはまだ二十代の青年らしく思はれたので、私はひそかに此の人に親しみを感じ、自分の藝術上の血族の一人が早くも此処に現れたやうな気がした。
私は将来若し文壇に出られることがあるとすれば、誰よりも先に此の人に認めて貰ひたいと思ひ、或はさう云ふ日が来るであらうかと、夢のやうな空想に耽つたりした。
それに、漱石先生はその社会的文壇的地位が余りに私とは懸隔があり過ぎ、近づき難い気がしたが、荷風氏は当時仏蘭西滞在中(?
の最も尖鋭な新進作家であり、恐らくはまだ二十代の青年らしく思はれたので、私はひそかに此の人に親しみを感じ、自分の藝術上の血族の一人が早くも此処に現れたやうな気がした。
私は将来若し文壇に出られることがあるとすれば、誰よりも先に此の人に認めて貰ひたいと思ひ、或はさう云ふ日が来るであらうかと、夢のやうな空想に耽つたりした。