木村は帝大生ではなく、千代田小学校時代の後藤の幼な友達で、芝浜館の若旦那であつたが、暇に任せて外国の文学書を漁り、欧洲文壇の趨勢に通じてゐたことは我々の中の随一であつたゞらう。
彼は年歯最も若く、芝浜館と云へば相当に名の売れた料理屋の主人であつたから、資金の関係から後藤が仲間へ入れたのであらうと思はれる。
当時此の少し前に「白樺」が創刊され、志賀、武者小路、有島、里見の諸氏が新しい機運を作り出しつゝあつたので、彼等がそれに刺戟されたことは云ふまでもあるまい。
木村は帝大生ではなく、千代田小学校時代の後藤の幼な友達で、芝浜館の若旦那であつたが、暇に任せて外国の文学書を漁り、欧洲文壇の趨勢に通じてゐたことは我々の中の随一であつたゞらう。
彼は年歯最も若く、芝浜館と云へば相当に名の売れた料理屋の主人であつたから、資金の関係から後藤が仲間へ入れたのであらうと思はれる。
当時此の少し前に「白樺」が創刊され、志賀、武者小路、有島、里見の諸氏が新しい機運を作り出しつゝあつたので、彼等がそれに刺戟されたことは云ふまでもあるまい。