金を持つて行けば退学を許される例であつたが、私はそれきり学校を放棄した)ちやうどその頃、小山内氏と市川左團次とが自由劇場の運動を起し、その第二回の試演に、同年十二月有楽座に於いてゴルキーの「夜の宿」を上場する筈であつたから、「新思潮」同人はしば/\小山内氏や左團次を楽屋に訪ねて、稽古を見せて貰つてゐた。
さうして、たしかその舞台稽古の日であつたが、私は永井荷風氏が見物に来られることを知つてゐたので、何とかして氏に「刺青」を読んでもらひたく、「新思潮」の十一月号を懐にして有楽座の廊下をうろ/\した。
尤もその前、私は既に「パンの会」で荷風先生の風貌に接してゐたけれども、まだ改まつて紹介されたこともなく、その上、その会の晩に、酔つ払つて先生に管を巻いたことを思ひ出すと、すつかり恐縮してしまつて、それでなくても畏敬してゐる先生に近づき難くされてゐた。