さうして、たしかその舞台稽古の日であつたが、私は永井荷風氏が見物に来られることを知つてゐたので、何とかして氏に「刺青」を読んでもらひたく、「新思潮」の十一月号を懐にして有楽座の廊下をうろ/\した。
尤もその前、私は既に「パンの会」で荷風先生の風貌に接してゐたけれども、まだ改まつて紹介されたこともなく、その上、その会の晩に、酔つ払つて先生に管を巻いたことを思ひ出すと、すつかり恐縮してしまつて、それでなくても畏敬してゐる先生に近づき難くされてゐた。
だから私は、「どうか僕の書いたものを読んで下さい」などゝ云ふ勇気はなかつた。