木村は両国の肉屋「いろは」で生れ、後藤は伝馬町だか馬喰町だかの医師の家に生れ、私は蠣殻町の相場師の子であつたから、三人ながら生粋の日本橋ツ児と云ふ訳で、いつも東京の下町の話が始まると、和辻や大貫は田舎者扱ひで除外されてしまふ。
後藤は嘗て一高の校友会雑誌に「べつたら市」と云ふ詩を寄せ、「何のことだか田舎者には分るめえ」と脂下つてゐたところ、豈図らんや文藝部委員の一人がその詩の批評をし、べつたら市の解説までしたので、「一高にも少しは江戸ツ児がゐるんだな」と思つて、その解説者を調べてみると、それが私だつた。
で、その当時から私の名前は知つてゐたと云ふ。