後藤は嘗て一高の校友会雑誌に「べつたら市」と云ふ詩を寄せ、「何のことだか田舎者には分るめえ」と脂下つてゐたところ、豈図らんや文藝部委員の一人がその詩の批評をし、べつたら市の解説までしたので、「一高にも少しは江戸ツ児がゐるんだな」と思つて、その解説者を調べてみると、それが私だつた。
で、その当時から私の名前は知つてゐたと云ふ。
彼は三人の中でも最も態度が傲慢で、よく人に憎まれた。
後藤は嘗て一高の校友会雑誌に「べつたら市」と云ふ詩を寄せ、「何のことだか田舎者には分るめえ」と脂下つてゐたところ、豈図らんや文藝部委員の一人がその詩の批評をし、べつたら市の解説までしたので、「一高にも少しは江戸ツ児がゐるんだな」と思つて、その解説者を調べてみると、それが私だつた。
で、その当時から私の名前は知つてゐたと云ふ。
彼は三人の中でも最も態度が傲慢で、よく人に憎まれた。