私は直ちに「秘密」を書いて中央公論社へ送り、一枚一円の稿料を貰つたが、その次に書いた「悪魔」からは一円二十銭になつた。
私は忽ち売れつ児になり、順風に帆を張る勢ひで進んだ。
此の、私が新進作家として今が売り出しの最中と云ふ得意の絶頂にある時、明治四十四年の正月に、紅葉館で新年宴会があつたのは、たしか読売新聞社の主催だつたかと思ふ。
私は直ちに「秘密」を書いて中央公論社へ送り、一枚一円の稿料を貰つたが、その次に書いた「悪魔」からは一円二十銭になつた。
私は忽ち売れつ児になり、順風に帆を張る勢ひで進んだ。
此の、私が新進作家として今が売り出しの最中と云ふ得意の絶頂にある時、明治四十四年の正月に、紅葉館で新年宴会があつたのは、たしか読売新聞社の主催だつたかと思ふ。