「パンの会」の時は何と云つても傾向を同じうする若い作家ばかりであつたから、会ふのは始めてゞも互に気心が分つてゐたが、今日の出席者はあの時より更に多人数である上に、古いところでは硯友社系の諸豪を筆頭に、三田系、早稲田系、赤門系、それに女流作家も参加し、その外文展系院展系の画伯連、政論家文藝批評家等、紛然雑然としてゐるので、何処に誰がゐるのやら見当もつかない。
さうなるとはにかみ屋の私は一種敵国に這入つたやうな心地がして、ひとり窮屈さうに酒を飲んでばかりゐた。
(有名な作家の顔ぐらゐは写真で見覚えてゐさうなものだが、紹介されるまでさつぱり知らなかつたところをみると、当時の文学雑誌には今日のやうに写真が出なかつたものと思はれる)尤もこれは私ばかりでなく、誰も多少はそんな気持がしたらしく、暫くの間席上は白けて見えたが、その時異彩を放つてゐたのは、口髯のある、眼鏡をかけた洋服の紳士が、いつの間にか靴下のまゝ庭に下りて飛び石の上にあぐらを掻きつゝ、今しも会場で開会の挨拶だつたか余興の演藝だつたかゞ長たらしく続いてゐるのを、時々蛮声を張り上げて交ぜつ返してゐることだつた。