源平の昔屋島の合戦に扇の的を射た那須与一は、その後どうなつてしまつたか知る人も稀であるけれども、彼が二十歳の時、敵味方環視の中で扇の的を射落したのは即ち彼が生涯に於ける「今が盛り」の時であつた。
死に至るまで劇壇のために悪戦苦闘した小山内君の経歴は一生に一度花を咲かせたきりである与一とは比較にならないが、思ふに氏の五十年に亙る生涯に於いて、彼が二十八歳の十二月、有楽座の脚光を浴びつゝ満場の観客に呼び掛けた時のやうな花々しい時期は、さう数多くはなかつたであらう。
当時無名の後輩として、単なる一箇の観客として、平場の椅子席に腰掛けてゐた私は、苦難に充ちた氏の将来を予見した訳ではないが、「今夜の小山内君こそは一世一代の男振りだ、こんな時はそんなに度々あるものではないぞ」と感じた。