白面の一書生にして都下第一の美妓を贏ち得た恒川陽一郎も男子の本懐なら、当夜の小山内氏の如きに至つては正にそれ以上のものではないか。
さればわれ/\が此の人の傘下に集まり、此の人を「先生」に戴いて第二期「新思潮」を創めたことは、われ/\として最も賢い方策であつた。
と云ふのは、当時文壇の中心勢力は大体に於いて早稲田派若しくは早稲田系の手に移り、赤門出の創作家は漱石一派を除いては極めて微々たるものであつて、ひとり小山内氏のみが文壇にも劇壇にも幅を利かせてゐたから、後進のわれ/\が若し先輩を担ぐとすれば、此の人を頼るより外はなかつたのである。