私がさう云ふ好みに傾いて行つたのは、元来が下町育ちであり、且つその上に偕楽園と云ふ軍師が附いてゐて、衣裳の選択から、着附けから、時々は材料の供給までもしてくれたせゐもあらう。
(私の小説「幇間」の中に出て来る三平と云ふ幇間は、背中へ雷神を描いて裾へ赤く稲妻を染め出した白縮緬の長襦袢の上に赤大名のお召を着、藍色の牡丹くづしの繻珍の帯を締め、裏地に夜桜の模様のある黒縮緬の無双羽織を着てゐる。
当時私はさる批評家から此の着附けを褒められたものだが、安んぞ知らん、これは偕楽園夫人の入れ智慧であつた)が、それにもう一つ、私はその頃の自然主義の作家連を田舎者の集団と認めてゐたので、彼等の無趣味無感覚に対する反感も手伝つてゐたであらう。