当時私は中央公論のために「悪魔」を執筆中であつたが、火のつくやうに金が欲しかつた時代なので、五枚十枚ぐらゐづゝ書けるに随つて瀧田氏の許へ原稿を送り、その都度引き換へに五枚分十枚分の稿料を貰つてゐた。
小山内氏はそれを触れて歩いて、まるで西洋の淫売がシユミーズを脱ぎ靴下を脱ぐ度毎に祝儀をねだるのと同じやり方だと云つた。
私はそんな悪宣伝を聞いても一向腹は立たなかつたが、そのうちに第何回目かの「パンの会」が又三州屋で催されたので、否でも応でも氏と顔を合はせることになつた。
当時私は中央公論のために「悪魔」を執筆中であつたが、火のつくやうに金が欲しかつた時代なので、五枚十枚ぐらゐづゝ書けるに随つて瀧田氏の許へ原稿を送り、その都度引き換へに五枚分十枚分の稿料を貰つてゐた。
小山内氏はそれを触れて歩いて、まるで西洋の淫売がシユミーズを脱ぎ靴下を脱ぐ度毎に祝儀をねだるのと同じやり方だと云つた。
私はそんな悪宣伝を聞いても一向腹は立たなかつたが、そのうちに第何回目かの「パンの会」が又三州屋で催されたので、否でも応でも氏と顔を合はせることになつた。