尤も私は劇壇に野心もなく、又さう多くの戯曲を書いてもゐなかつたから、「選に洩れた」と云ふ意識はなかつたが、「鉄輪」が上演された時に左團次が私の「信西」を推挙し、小山内氏の反対に依つてそれが中止になつたと云ふことを聞いた時は、正直のところ、多少淋しい気がしないでもなかつた。
氏が「信西」に反対されたのは相当の理由があつてのことで、単なる反感の結果と取るのは邪推かも知れない。
が、劇壇に野心はないにしても、当時の私は自分の戯曲が実演される機会にまだ一遍も恵まれてゐなかつたので、その絶好の機会が妨げられたと聞いては、氏を恨めしく思つたことも事実である。