明治四十五年の四月、私は大毎東日両方の紙上へ京阪見物記を連載すると云ふ約束で、東日から金を貰つて、京都へ出かけた。
所謂「朱雀日記」と題するものがこの時の見物記である。
これより先、確か四十四年の秋か冬頃に私は小野賢一郎君の依嘱を受けて「あくび」と云ふ中篇物を東京日日新聞紙上へ書いたことがあつて、これが私の新聞へ続き物を寄せた最初であつた。
明治四十五年の四月、私は大毎東日両方の紙上へ京阪見物記を連載すると云ふ約束で、東日から金を貰つて、京都へ出かけた。
所謂「朱雀日記」と題するものがこの時の見物記である。
これより先、確か四十四年の秋か冬頃に私は小野賢一郎君の依嘱を受けて「あくび」と云ふ中篇物を東京日日新聞紙上へ書いたことがあつて、これが私の新聞へ続き物を寄せた最初であつた。