その頃小野君は松内氏の下に働いてをられ、名妓照葉と音峰某の情事を連載して人気を博してゐる最中であつたが、同君の話に依ると、「松内さんは大いに不良少年の文学を歓迎しようと云つてゐるんですよ」と云ふやうなことであつた。
つまり私はその不良少年文学のお先棒を承つた訳なので、「あくび」と云ふ小説は別にそんなつもりで書いたのではなかつたが、いかにもその標本のやうに出来上つてゐる。
で、京都へ行きたいと云ふことも、多分私にその意向があることを松内さんが聞き込んで、「それなら旅費は出してやるから何か私の方へ書いたらよからう」と、半ば好意的に提案されたのだと記憶してゐる。