私は俥の幌の間からその狭い烏丸通りの両側に並ぶ家々を、東京では見ることの出来ない紅殻塗りの格子造りの構へを、「これが京都かなあ」と思つてなつかしくも物珍しくも眺めたことだつた。
三条御幸町の大毎の支局と云ふのは今もその時と同じ所にあるやうに思ふが、支局長の春秋さんと云ふ人はその後大阪の本社に移り、昨年であつたか不幸電車の奇禍に遭つて物故されたと聞いてゐる。
私は、その日の夕刻この春秋さんに案内されて麩屋町の萬養軒と云ふ洋食屋へ連れて行かれ、其処で始めて祇園の藝者と云ふものを見せられたのである。
私は俥の幌の間からその狭い烏丸通りの両側に並ぶ家々を、東京では見ることの出来ない紅殻塗りの格子造りの構へを、「これが京都かなあ」と思つてなつかしくも物珍しくも眺めたことだつた。
三条御幸町の大毎の支局と云ふのは今もその時と同じ所にあるやうに思ふが、支局長の春秋さんと云ふ人はその後大阪の本社に移り、昨年であつたか不幸電車の奇禍に遭つて物故されたと聞いてゐる。
私は、その日の夕刻この春秋さんに案内されて麩屋町の萬養軒と云ふ洋食屋へ連れて行かれ、其処で始めて祇園の藝者と云ふものを見せられたのである。