此の「信楽」と云ふ旅館は今はなくなつてゐるだらうが、女将が与謝野晶子さんの旧友であるとかで、そんな縁故から文人の投宿する者が多かつたやうに聞いてゐる。
私が訪ねて行つた時にも、つい二三日前まで有島生馬君其の他白樺の連中が二階に陣取つてゐたと云ふ話であつたが、幹彦君の部屋は、階下の離れのやうになつた川べりの座敷であつた。
何しろ三本木と云へば昔山陽の山紫水明処があつた所で、当時は殆ど京都の郊外に近かつたので、下木屋町の私の宿から俥で行くのに随分乗りでがあつたものだつた。
此の「信楽」と云ふ旅館は今はなくなつてゐるだらうが、女将が与謝野晶子さんの旧友であるとかで、そんな縁故から文人の投宿する者が多かつたやうに聞いてゐる。
私が訪ねて行つた時にも、つい二三日前まで有島生馬君其の他白樺の連中が二階に陣取つてゐたと云ふ話であつたが、幹彦君の部屋は、階下の離れのやうになつた川べりの座敷であつた。
何しろ三本木と云へば昔山陽の山紫水明処があつた所で、当時は殆ど京都の郊外に近かつたので、下木屋町の私の宿から俥で行くのに随分乗りでがあつたものだつた。