年々東京風に化して長唄清元等の江戸唄が跋扈する現代では、特別の温習会でゞもなければ、お座敷であの長い地唄の「屋島」を舞つて見せるやうなこともなくなつてしまつた。
それにしても「京の舞ひは如何にも大まかな、悠長なもので、技巧の小細工よりも、只管に余韻を貴ぶ風が見える」とか、「黒地に金糸の刺繍を施した総模様の着附けへ、蝋燭の光の尾の端が纔かにとゞき、長い裳裾の隙から白足袋がちら/\とこぼれて、………さながら『左小刀の人形』が動き出したやうに神韻漂渺として、荒れすさんだ遊子の心を、甘い想像の国に誘うて行く」とか書いてゐるけれども、その時の私は事実そんなに感心したかどうか怪しいと思ふ。
たゞ今日になつてみると、あの時分の陰気で古風な祇園の情調がなつかしく思ひ出されるのである。